企画が終わり、改めて「色」について考えてみました。
総括的・包括的にというよりは、企画中印象深かったことを中心に。
短いですが、つづきにたたんであります。
読んでやるよ、という方がいらっしゃいましたら、どうぞ。
総括的・包括的にというよりは、企画中印象深かったことを中心に。
短いですが、つづきにたたんであります。
読んでやるよ、という方がいらっしゃいましたら、どうぞ。
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もっとも琴線に触れたのは、「色」と「光」の関係。「色」というテーマで集まったなか、「光」もからめて扱っていた作品が複数あり、そうか光あっての色なのか、と思いました。
ふだん私は「色」と「光」を別物として考えているふしがあるのですが、「色」のもとには「光」がある。「色」を考えるのは「光」を考えることでもあるのだな、と。
このことは、企画中インタビューズで「夕日」の描写に関する質問をいただき、それについて思いを巡らせているときにも実感しました。夕刻の空の色の移り変わりは、時々刻々変化していってほんとうに美しいと思います。それはやはり、「光」の移り変わってゆく時刻であるからなのですね。
私は今回、絵具とそれにからめた気持ちの色合いの移り変わりとして「色」を扱いましたが、「色」と「光」という観点から描くという視点が新鮮で、興味深く思いました。
それから、白・黒・灰色は色なのか、ということ。
よくモノクロのことを「色がない」といいますが、たとえば色鉛筆やクレヨンなどのセットには、かならず「色」として白や黒が入っている。そこを考慮してか、「色がない」ということに「無色」という点から取り組まれていた方もいらっしゃいました。
ではやはり、モノクロといえど色がある、ということになるのか。
この点、私はG09「君ありて幸福」を読んだときにはっとしました。「モノクロ」と対置される「カラー」を前提とするひとにとり、ほかの「色(カラー)」があってはじめて、白や黒、灰色も「色」になるのだな、と。
カラーを知り、かつカラーを失った世界では、白黒灰色は「色」ではない。逆にいえば、モノクロしか知らないひとにとっては、その濃淡のわずかな違いが「色」になり得るのかもしれない。
この前提の違いがG09のラストに鮮やかに描かれていた気がし、またそれが希望のみえる形での描写であったことで、いっそう印象深く心に残っています。個人的に、この「色」の解釈はとても腑に落ち、また新鮮なものでした。
その他、色っぽいという意味での「色」や、色即是空の「色」など、そういう解釈・使い方もありか!と目から鱗が落ちた作品も多くありました。おっしゃっていた方が何人もいらっしゃいましたが、ほんとうに「色」という
テーマ選択のセンスが光っていたなぁと思います。ひとつのテーマからこれだけのヴァリエーションが生まれるって、すごい!
そして同時に、もっと書く修行をせねば、と思うのでした…。
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